第1回OBOG会開催のお知らせ

皆さまお世話になっております。

10月3日13時より予定通りOB・OG会を開催いたします。
当イベントは新規スタートということになりますが、2ヶ月に1度程度のペースで卒舎された先輩方のお仕事や信愛での思い出・体験談をお話していただく会を続けて参りたいと思います。

そのほか15時半ごろより(密を避けて!)屋上でのBBQ交流会も予定しております。

タイムスケジュール

  • 13時より:舎生自己紹介、ご講演・質問タイム初回講演者 大森瑚子先輩(共同通信社記者 新OBOG会会長 2018年卒)
  • 14時ごろより:寮生からの活動報告、先輩方ご紹介
  • 15時ごろ:会終了
  • BBQ準備15時半より:BBQ交流会
  • 17時ごろ:交流会終了先輩方もお時間があれば是非お越しください。

また、感染予防のため参加者の人数把握をいたしますので、参加される方はお手数ですが9月30日までにフェイスブックか下記メールアドレスまでご連絡ください、よろしくお願いします。

メールアドレス:shinaigakusha@gmail.com
(尚、感染防止の観点から参加20人程度のイベントを予定しております。)

「スクリーンの向こうへ手を伸ばす」:8月映画会 『DEATH COME TRUE』

8月23日(日)に、8月の映画会を実施しました。

映画会とは言いましたが、実際はゲームをプレイしました。『DEATH COME TRUE』というゲームです。ゲームとは言っても、実写のゲームかつ選択肢を選んでいくことで分岐していくインタラクティブなゲームでした。

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8月読書会 ハンナ・アーレント『自由とは何か』

先日、zoomを使ったオンライン読書会を実施しました。参加者はM1の学生2人と教育学部4年の学部生1人でした。

今回の課題文献は、ハンナ・アーレントのエッセー、『自由とは何か(What is Freedom?)』でした。『過去と未来の間』という著作集に収録されています。

アーレントの英語は初めて読んだのですが、非常に読みづらく(もちろん私自身の英語力の低さも相まってではありますが)苦戦しました…。

内容として面白かったのは、アーレントは、自由を「意思の属性」ではなく「なすことと行動することに付随する」と考えていたことです。
アーレントによると、古代ギリシャでは、何かを始め、導き、統べることと何かを成し遂げることが別の同士であらわされていました。現代では両方ひっくるめて「act」で表されます。

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8月読書会 特別編朗読会

8月22日の13時から、舎生4人でそれぞれが持ち寄った短編を朗読しあう、朗読会を実施しました。
今回は、参加者の二人が寮にいないのでzoomでのオンライン開催となりました。オンライン朗読会は、4月の『方丈記』以来2回目となります。

一人目の舎生はエドガー・アラン・ポーの「The Tell-Tale Heart」を朗読しました。4ページほどの短編ながら、リズム感のある文章で聞いていて気持ちがよいものでした。

二人目は夢野久作の詩集。夢野らしい発想で思わず背筋がぞっとするような感じがしました。

三人目は、坂口安吾『将棋の鬼』。私が将棋が好きなのでチョイスしました。
升田幸三と木村義雄の対比がよく表れた名エッセーだと感じました。
が、ほかの三人はよくわからなかったようです。将棋の歴史について知らないとわからないな…と反省しました。

最後は村上春樹『納屋を焼く』。私は村上をほぼ読んだことがないのですが、春樹好きの舎生が選びました。

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7月読書会 ブルーナー『教育の過程』

東大教育学部4年の寮生による卒論構想発表会を行いました。タイトルは「アクティブラーニングを教育思想から考える」。主テキストはアメリカの教育学者ブルーナーの『教育の過程』(岩波書店)でした。最新の教育指導要領の背景にあるもの、つまりは日本の教育史の概略をみながら明らかにしていこうというものです。発表者は特に「問題解決学習」を批判した広岡亮蔵に注目していくようです。

初のオンライン読書会を開催

報告:4月27日にオンライン上(zoom)で読書会を開催しました。作品は鴨長明の『方丈記』、コロナ禍の中ふと思いつき選びました。原文を(つまずきながら…)朗読し、和漢混淆文で書かれた長明の文章に耳を傾ける会になりました。(形式:原文・翻訳朗読、西郷信綱氏による解説、感想会)。
以下、この読書会を振り返って参加者が書いた文章の抜粋も掲載します。『方丈記』は「無常」なだけではないのです。
                           
4月にオンライン読書会で鴨長明の『方丈記』を扱った。ここではその時を振り返って思うことを書いてみたい。新型コロナの「第1波」が広がる中で『方丈記』が読みたくなった。その時の私の感想はこのようなものであった。「戦乱に辻風、大火に飢饉。立て続けに降りかかる災厄を経験し無常をとく隠者になっても尚、庵に咲く藤を静かに愛でる姿に私は感動をおぼえました」。そしてその後河出文庫から出ているアンソロジー(今村純子訳)所収のシモーヌ・ヴェイユが17歳の時に書いた小論『美と善』を読むことがあって、その時このような一文に出会った。「何かが美しく見えるとは、そこに存在しているつねに移ろい流れてゆくものを見ているのではなく、不変で永遠なるものを見ていることだからである」(67~68頁。ちなみにこの考え方はプラトンの『ティマイオス』から引っぱってきているようだ)。そしてこのイメージと、長明が藤を愛でる姿が私の中でピタリと重なったのだった。
そして先日、「危機の神学」と題された『文學界』8月号掲載の若松英輔、山本芳久の対談を読んでいたら『方丈記』について言及されていて、しかも私が感じたのと同じようなこと(恐らく読めば多くの人が抱く共通見解かもしれないが)が書かれてあって驚いた。驚いたと同時に、同じようにこの時期に『方丈記』を読もうと思い立ったという人がいて「間違ってなかった」と感じ、正直なところ嬉しくもあった。
「今回のコロナ禍中であらためて読み、今、翻訳しているのが『方丈記』なのです。(略)学校などでは〈無常の文学〉と習うわけですが、改めて読むと、鴨長明が力点を置いているのは無常よりも、それをあらしめている永遠です。後半のほうに行くと、いかに朽ちないものを発見していくかという物語に変わっていく」(若松)。

大江健三郎『セブンティーン』・『政治少年死す』を読んで

 去る29日に1月度の 読書会を開催しました。読むのにやや体力にいる作品2作でしたが、「今の自分」と照らし合わせて読む人もいて興味深い感想が聞かれもしました。今回は前半にドキュメンタリーを見、後半に感想会をやる形式でしたが時間の長さもいい塩梅に収まった会だったと思います。以下、参加者の感想です。↓ 

「おれ」はたまたま出会ってしまったがために天皇という名の下の右に傾倒していったのだろうか。

右翼少年でない者が読んでも、この『セブンティーン』と『政治少年死す』は彼を怒らせるに十分すぎる内容であるということは一目瞭然である。彼らの活動は自慰行為だと言っているのだから。家庭では冷遇され、学校では情けない立ち回り(長距離走中での失禁30頁)を強いられる「おれ」は、エログロナンセンス映画を観に通うことから付けられた「新東宝」によって右翼街頭演説の「さくら」をやらないかと誘われ赴く。そこで彼は「右の鎧」を手に入れることとなる。(36頁)

彼が天皇と自己を同一化していく、つまり「右」へと傾いていく決定的なモメントはやはりその街頭演説でのシーン以前の校庭での失禁にあるのではないだろうか。そこで彼は完全に男らしさを見せる機会、あるいは男として見られる機会を失うのである。(さらに彼は容貌にもコンプレックスがあり、それに加え自慰常習者である。そして彼はそのことを意識する度に赤面する自意識をコントロールできていない初心なセブンティーンなのだ。)「右の鎧」とは天皇を信じることで、天皇を自己の中に深く取り入れることで自分に自信を感じるということである。これは「忠とは私心があってはならない」の世界に入り込むということで、彼はここで不安定な自我の葛藤を放棄するのである。(43頁)

『政治少年死す』において「おれ」は過激で暴力的な党員として一目置かれる存在となっている。しかし彼は恩師逆木原や「左翼がつくった『わだつみのこえ』」(本文)の愛読者である安西といった一時尊敬の念を抱く対象であった人々をも見限り、ついに自らでの行動を決心する。彼は(「きみ」と7では呼ばれる)「バナール」な演説をする(社会党)の委員長を暗殺するのだ。

もはや彼の頭の中には「私心なき忠」という言葉しかよぎらない。彼は「おれ個人の恐怖にみちた魂を棄てて純粋天皇の偉大な溶鉱炉になかにとびこむ」ことを決心する。彼は小児性愛者の隣の独房で一人死と自慰の「甘さ」をいっぺんに味わいながらこの世を去っていく。

「おれ」が現代に生まれていたら、彼はもしかしてネトウヨになっていたのかもしれない。しかし、そうなればこのように人を殺め、自死することはなかったのではないだろうか。自分を傷つけるよりも相手を傷つけることで快楽を覚えるのが現代のネット世界である。1960年代の血生臭さと現代の陰湿さを思う筆者であった。右に傾いたのはたまたまだったのか、必然的だったのかという問題は別にしてもこの2作品は17歳という自我との葛藤を強いられる時期にその自我を別のものに仮託してしまった少年の顛末を描く実は身近な悲劇ではないだろうか。(ページ番号は講談社刊『大江健三郎全集』による)

読書会などの活動について

映画会 『海にかかる霧』 を観る

映画会より新年のご挨拶を、明けましておめでとうございます。今年もたくさん良作に出会う旅を続けていきたいと思います!

新年最初の上映作品として選んだのは今『パラサイト 半地下の家族』で話題をかっさらっているポン・ジュノ監督(オスカー受賞はなるのか?)が『殺人の追憶』でタッグを組んだシム・ソンボと制作した『海にかかる霧』(2014)でした。

2001年に実際に起きた「テチャン号事件」をテーマにした戯曲をもとにした作品なのですが映画の中盤で起きるあるハプニングを転機に怒涛の展開となり、充実の出演者たちの名演技も相まって観るものを物語のなかに引きずり込んでいきます。

鑑賞後「ポン・ジュノ現代のドストエフスキー」だという感想が聞かれましたが、私はその時『罪と罰』の一節を思い出しますた。「なるほど、もうはじまってるのか、あれの罪が!」

気になる方は是非鑑賞をお勧めしますが、精神的に元気な時に観るのがベターかもしれいません! それではまた来月。

映画会などの活動について

じゃがいもの収穫

 今年の6月から信愛の裏のスペースを使って野菜を育てています。ドクダミが生え散らかしていたところを一生懸命掘り起こし、石ころを取り出したりして整地しました。

夏はトマト、ナス、シシトウ、モロヘイヤ、ピーマン、バジルを育てました。写真は撮り忘れていたのですが、たくさん収穫できました。

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読書会 『ハムレット』 を読む

本日12月18日今年最後の読書会を開催しました。作品は古典中の古典、シェイクスピアの 『ハムレット』 。
以下発表者の原稿を掲載します。

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